Remember 3.11

2011.0311.14:46。東北地方太平洋沖地震
1995.0117.05:46。阪神淡路大震災
まず初めに、震災の被害に遭われたすべての方々に、心よりお悔やみ申し上げます。また、まだ安否の分からない方の無事と、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


人は、「揺らされる」ってことに慣れてないって、改めて思い知りました。体も、心も。
免震構造のビルの8F、かなり長い間揺れました。壁一面の大きな窓から外を見ると、大阪の中心のビル群が思い切り揺れてました。最初は立ちくらみかと思いましたが、フロアの全員がみんな同じ感覚で、地震だってことに気づくまでに少し時間がかかりましたが、Twitterでつながっている全国の方々が同時に呟き、大変なことになっていることを知るには時間はかかりませんでした。

中2のころ、とりあえず登校した学校は結局すぐ帰宅ってことになって、家に帰って友達と観たTVで、神戸の町並みが瓦礫に変わった光景に愕然とした記憶がよみがえりました。あのころはテレビとラジオが情報のすべてで。新聞は後追いだったけれども、行ったことはないけどもごくごく近い距離にあることは理解している神戸の街並みが、まるで教科書で観た戦争の後のような光景で、にわかに信じられない感覚でした。
今は違います。職場のビルの防災アナウンスはいつまでたっても震度も影響も把握出来てなかったけれども、Twitterでは揺れ始めて5分もしないうちに数え切れないほどの情報が入っていました。
TVはともすれば被害情報やショッキングな被害状況を優先して映しがちで、それはきっと危険察知の意味で需要はあるのだろうけども、不安を煽る報道よりは、安全が確保できている地域、臨時避難所の案内を優先すべきじゃないだろうか。16年経って少し大人になった僕はふと疑問に思いました。
それと連鎖するように、直後からTwitterのTL上はTVニュースが知らせる惨状を繰り返す呟き、有用そうな情報のRT、がんばろうと呼びかける声、友人の無事を喜び、連絡が取れないことへの不安を募らせる呟きで溢れ、日常のひとコマ的な呟きはにわかにその姿を消しました。有名な方であればあるほど、自由な発言は出来ず、非難の的にはならないよう、慎重に言葉を選ばれていたように思います。

僕はしばらくその様子を傍観していましたが、2日経って、糸井さんのこの呟きに強く共感し、RTしました。いつも拝見している呟きにも共感するものを見つけたり、また、自分の言葉でもこの震災について呟きました。

@itoi_shigesatoさんのツイート

自分(@whitefield_d)のツイート

@butsuyoku_mさんのツイート

無事を祈り、救援や支援を呼びかけ、節電を促し、情報をRTし、無力さを吐露する。僕は全部アリだと思っています。それぞれ思うことは違うのだし、心配の仕方も人それぞれ。表現の仕方が違うだけで、無事を祈らない人はきっといません。なので、そこに非難は必要なくて、多様な表現を認める、許容が必要なんじゃないかと。
そして、自分が直接の被害が少なかった地域に居るのなら、普通の日常の呟きをしてもいいと思っています。僕は明日からそうするつもりです。
いろんな背景があって、協力出来るレベルも千差万別。協力できる人は手を取り合って協力すればいいし、出来ないことを責める必要はないと思います。むしろ協力できない人は、必要以上にアラートを飛ばし過ぎないように、受信した人を不安にさせないように、普段どおりすればいいのでは、と思っています。気持ちは波紋を呼び、共振し、Twitterというインフラで一気に加速すると思うんです。それならば、せめて不安や心配を伝播させるのではなく、希望とか、平穏とか、落ち着いた言葉を伝播させたほうがいいんじゃないかな、と。


言葉の選択は難しくて、思ったことをきちんと残すこともままならないのですが、やはり今このときに思ったことは書き記していた方がいいなと思い、これを書きました。そしてこれ以上今回の震災については書かず、明日からは普段どおりの呟きと日常のログに戻ろうと思います。勿論、一日も早い不安の払拭を祈っています。

さいごに。TwitterやWebポータルサイトで成り立つ先進ITインフラだけでなく、既存の報道メディア各種も含めて、情報インフラは、今よりも先を、ちょっとでも良くするため、そういう用途での使い方を世に広め、またその方法を検討されないといけないと、今回の事態で改めて深く思います。IT業界に身を置いているとはいえ、仕事で直接そういうことに携わる訳ではありませんが、間接的にでも、どういう形であれ、そういうことに尽力出来ればいいなと心の底から感じています。

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人の力は偉大です。他人の批判よりは、許容と協力の連鎖で、悲愴な映像よりは、希望を持てる笑顔の伝播で、少しでも多くの人に一刻も早く安らぎが届きますように。一人でも多くの方々が、無事でおられますように。一秒でも早く、眠れぬ日に終わりが訪れますように。心から、お祈りいたします。