ジレンマ。

nine ball.
写真が好きなので、会社のイベントの写真係を(自発的に)担当する。カメラに全く頓着がない人よりも、構図やらピントやらWBやらなんやらかんやら、興味がある分は考えて撮るし、デジイチ持ってない人よりも幾分か見栄えがする写真が撮れることもある。そして、それなりに自分では満足した出来映えにもなりうる。加えて、考えて撮った写真がそれなりの出来になったら、被写体が何であれ誰であれ、自己満足してほくほくすることもある。
でも、それがイベントの記録の側面を持ってるんだっとしたら、その中に自分がほぼ残らないってのは、なんだかちょっと寂しい。。
いつもいつも自分がカメラを撮影していると、きっと今回も持ってくるだろうと安心されて、他の誰もわざわざ重いカメラは持って来ないし、きっと今回も適当に撮ってくれてるだろうという期待もあるかも知れない(勿論、期待してないかも知れない)。という話を友達としたことがある。もしも誰かが喜んでくれるなら、もしくは撮ってくれるんだろうという期待があるんなら、勿論それには精一杯応えていきたいけども、自分も記録の中には残りたいのが本音だよね、って部分もある。それも出来ることなら、自分以上のセンスを持って撮られた写真の一部として残りたいもんだ。カメラ目線の記念写真ではなく、素のままの笑顔記録の写真。そういうのが最高だと思う。でも、、、他に誰もカメラなんて持って来ないのだから、そんな願いは叶うはずもなく。。な現状、どうしようかなぁ。

恥ずかしくも、写真を撮るモチベーションの根っこの部分は「せっかく楽しく過ごしてた笑顔なみんなのいい顔撮りたいなぁ」が紛れなく100%なので、これからもそのカメラ良心めいたナニカに従って、勝手に周囲の気持ちを慮って、まるで善行のフリして、きっとこれからも写真を撮り続けるんだろうなぁ、と思う。多分。けど、そういう感情って他の人にはないもんなのかなぁ、、と考えることもあり、もういっそやめちゃうか。と思うこともある。あー、悩ましい。撮るのも見るのも好きなんだけども、その記録の中に自分がほぼ残らないってのは、なんだか、ねぇ。。。他のカメラ好きな方々はいったいどうしてるものか、知りたいなぁ。

という思いを経て一晩悶々と過ごしたあと、どこかの本で読んだ『Give and Give and Give and Give and Give』みたいな言葉を思い出した。要はどこまでいってもTakeしないってこと。そうありなむ、てその本を読んだ当時は思ったけど、それが難しいことを実感するのでありました。ふぅ。